尋常浅間学校 ~10年100回キラキラ授業
神宮寺は明治初年の廃仏毀釈で庫裡1棟を残して伽藍が取り壊され、住職は還俗を余儀なくされた。残った庫裡は地域の学校となり「尋常浅間学校」と呼ばれ、1909(明治42)年まで続いた。それを復活し、寺が学びの場でもあったことを再現しようと考えた。そこで旧知の永六輔さんに校長を、無着成恭先生に教頭をお願いした。
1997年6月の開校式は小番(こづかい)のぼくが授業開始の鈴を振り、永校長、無着教頭が教壇に立った。そしてその後10年間100回の授業を行ったのである。キラ星のような教師陣が、10年間で4万人を超える生徒たちに、「いのち」に直結する、とびきりの授業を行ってくれたのだ。奇跡のような尋常浅間学校の10年間だった。
◀ 開校後、永六輔校長が尋常浅間学校を訪れるのは近くで講演があったとき。そちらで講演料をいただくから「いらない!」と。
▶ 教頭は「ラジオこどもでんわ相談室」の無着成恭先生。無着先生とぼくは「日本仏教滅亡論」というタイトルで刺激的な対談も行っている。
「いのち」をテーマにした講演、対談、鼎談、シンポジウム、コンサート、お芝居、おまつりなどが基本的に月1回行われた。たとえば、詩人・谷川俊太郎さんの朗読と歌手・小室等さんとの対談。内藤いづみ先生+ピーコさん+ぼくの鼎談。故・筑紫哲也さんとぼくの対談などなど。