戦争の痕跡を追う 南太平洋 アウシュヴィッツ
1963年、ヴェトナム。ドン・バンミン軍事政権は市民や仏教徒を弾圧した。サイゴンの街角でデモを鎮圧に来た兵士の横に立ち、機関銃を押さえつけて兵士を制する黄衣の僧を写真家・岡村昭彦は撮っている。
殺すことを前提としている兵士の前に、丸腰(非暴力)で立つこと‥‥それは自らのいのちを賭した極めて困難な行動と云える。
平和な時代を生き、戦争の惨禍も不条理な強制死も経験したことのないぼくが、もしもこのような状況になったとき、相手の機関銃を押さえつけ「撃つな」と云えるのだろうか。
「反戦」「平和」と唱えはできる。だがそのために巨大な暴力や権力と丸腰で渡り合う覚悟はあるか?
戦争の痕跡を追うことで、ぼくはその覚悟を身に着けようとした。
戦争の痕跡を追う
南太平洋
ぼくの坊さん人生を決定づけたニューギニア「ビアク島」・モクメル洞窟での戦没者の遺骨収拾&慰霊法要(1978年)。中央・導師は山田無文老師(当時・妙心寺派管長)。
モクメル洞窟内部。ガソリンを満タンにしたドラム缶が洞窟に投げ込まれ、機銃掃射が行われ火炎放射器で火がかけられた。この攻撃でおよそ1000人が死んだという。洞窟内は33年後にもかかわらず、その時の惨状がリバイバルする。
父親が亡くなったとされる西部ニューギニアの小さな島で、日本の自宅から持参した水を捧げる遺児。
ペリリュー島の海上慰霊で涙する遺族。
レイテ島の激戦地・カンギポット山での慰霊。およそ8万人の日本兵が戦死、多数の民間人も死んでいる。
アウシュヴィッツ
戦争の痕跡を見続け、アウシュヴィッツに行き着いた(2015年)。「働けば自由になる」と切り抜かれた欺瞞に満ちた文字がアウシュヴィッツの入り口に掲げられている。
ユダヤ人を輸送した貨車。アウシュヴィッツ第2収容所(ビルケナウ)には引き込み線があり、搬送された人々はその先で、ガス室、銃殺、人体実験、強制労働などに選別された。
ガス室の脇にある遺体焼却炉。150万人が殺害され焼かれた(一説には400万人とも言われている)。
丸木位里・俊夫妻が描いた「アウシュビッツの図」(埼玉県東松山市『原爆の図』丸木美術館蔵)。横16m×縦4mの巨大な絵。2015年夏の「いのちの伝承」でこの巨大な図は、初めて丸木美術館を出て神宮寺に展覧された。
2015年「いのちの伝承」のリーフレット。アウシュヴィッツの間近にあるIYMC(国際青少年交流の家=自国が起こしたアウシュヴィッツの惨劇を世界の若者に伝えるため、ドイツが建てた家)から研究員のユーデット・ヘーネさんを招聘し講演をお願いし、丸木夫妻の巨大な「アウシュビッツ」の図を展覧し、祈りのコンサートを行ったときのもの。